「大木章次郎先生と境野勝悟先生との再会」
2023年(令和5年)10月10日
寺田 誠一
1963年(昭和38年)、栄光学園中学校に入学したとき、大木章次郎(あきじろう)先生と境野勝悟(当時は勝久)先生に出会いました。大木先生は、カトリックの神父であり、学年主任でした。端正な顔立ちで眼光鋭く、たいへん厳格な先生でした。境野先生は、国語の担当で、毎回楽しい授業をされ、生徒にとても人気がありました。
1994年(平成6年)、約30年ぶりに、大木先生と境野先生に再会しました。それは、本を通じてです。
1994年に、青山圭秀著『アガスティアの葉』(三五館)がベストセラーになりました。私もこの本を読みましたが、その中の一部に大木先生のことが書いてありました。青山氏は、広島学院の出身であり、大木先生は広島学院時代の恩師という関係です。
『アガスティアの葉』は、全体としては、超能力者サイババについてと、個人の過去・現在・未来を記載してあるアガスティアの葉についての本です。サイババの真贋については、私はわかりません。ただ、一般論としていえば、宗教や精神世界の立派な指導者を人間として尊敬するのはよいと思うのですが、特定の個人を神のごとくあるいはキリストや釈迦の化身として崇めることには疑問があります。
『アガスティアの葉』のもう一つのテーマである、人間の運命は決まっているのか、それとも自由意志があるのかという問題については、私は、中国の古典「陰騭録(いんしつろく)」の考え方が好きです。すなわち、運命はある程度決まっているかもしれないが、それは自分の精進で変えていくことができるというものです。
話を本題に戻すと、大木先生は、かつて海軍予備学生であり、人間魚雷の出撃訓練中に終戦を迎えられました。終戦後、イエズス会に入会し、神父への道に進まれました。栄光学園で8年間、広島学院で10年間、倫理を教えられた後、1977年(昭和52年)、50歳のとき、ネパールのイエズス会の求めに応じてネパールに渡られました。その後、障害児のための学校をつくり、日夜献身的な努力で、この学校を次第に整備し充実させていかれました。
大木先生のメッセージは、”Be Man for others.”ということばに表されていると思います。倉光誠一編著『ヒマラヤの麓より』(ポカラの会)(注)の序文に、大木先生ご自身で、次のように説明されています。「これは、私たちの学校の建学の土台にある、福音の精神に基づく理想です」とされ、その意味として「自分や自分の家族の幸せだけを追求するような人間になるな」「狭い島国根性から抜け出し、世界のことを考える真の国際人になれ」「とくに、発展国の貧しく弱い人々のことを視野にいれて、人生を歩め」と述べられています。
なお、大木先生には、その後、日本に一時帰国したとき、栄光学園でお会いする機会がありました。穏やかな眼の柔和なお顔になられていたのが印象的でした。
1994年(平成6年)には、私は、書店で境野先生の著作も見つけ、驚いてすぐ買って読みました。『老荘思想に学ぶ人間学』(致知出版社)です。この本の初版は1993年(平成5年)ですが、私が購入した本は1994年発行の第4刷でした。
境野先生は、1973年(昭和48年)に栄光学園を退職されて、青少年の心の教育をテーマに、大磯に「こころの塾・道塾」を開設されました。境野先生は、東洋思想に造詣の深い在家仏教(禅)者です。東洋の古典をわかりやすく説く人間学シリーズを刊行されています。『老荘思想に学ぶ人間学』『禅の思想に学ぶ人間学』『利休と芭蕉』『二宮尊徳』『道元と良寛に学ぶ人間学』『菜根譚に学ぶ人間学』『源氏物語に学ぶ人間学』など(いずれも致知出版社)です。
さて、『老荘思想に学ぶ人間学』の内容を、私の理解の範囲で、少しご紹介してみます。固定的な価値観にとらわれて、不安感・焦燥感を感じていないか。下り坂になったとき、挫折したとき、自分の子どもの教育に悩んだときには、原点に戻り、こだわらず、ありのままを受け入れ、人生を味わっていく価値観も必要ではないかということです。とにかく人間として生きさせていただいたのは有り難いことだという価値観です。また、他人と比較せずに、自分だけを見つめ、自分らしく努力した結果に満足するという価値観です。上り坂もOK、下り坂もOK、すべてOKということです。
境野先生の著書に『日本のこころの教育』(致知出版社)があります。高校生への講演をまとめたものなので、とても読みやすい本です。日本人とは何かという質問に、「わたしたちの命の原因が太陽だと知って、その太陽に感謝して、太陽のように丸く、明るく、豊かに、元気に生きる、これが日本人です」と答えられています。また、「おかあさん」の「か」は太陽の意味であり、「おとうさん」の「と」は尊い人という意味だと述べられています。日本の国旗は太陽のマークであり、「今日は」「さようなら」の意味も太陽に関係があるということです。日本の若い人たちは、自分の国の文化や伝統をバックボーンに持ちながら、他国の文化や伝統も大切にして、世界中の人たちと仲よくやっていける、そういうすばらしい国民に成長してほしい、というのが境野先生の願いです。
境野先生については、その後、栄光学園同窓生のうち先生の担当された学年が共同主催して、先生の講演会を開催しました。軽妙洒脱なお話で、笑いの絶えない講演会でした。
栄光学園中学で、大木先生と境野先生に出会い、30年後に再会できたことは、たいへん幸せなことでした。
(注)『ヒマラヤの麓より』は、市販の本ではありません。広島学院時代の大木先生の同僚で「ポカラの会」をつくって大木先生を支援されている倉光誠一先生による自費出版です。市販の本としては、神渡良平著『地湧の菩薩たち』(致知出版社)に、20ページにわたり、大木先生の経歴と生活が、「ネパールの心身障害児の父」としてわかりやすく紹介されています。
また、曽野綾子著『神さま、それをお望みですか―或る民間援助組織の二十五年間』(文春文庫)には、24章の後半で大木先生のことが4ページほど紹介されています。
※本稿は、次の拙稿を加筆修正したものです。。
寺田誠一稿『1994年における大木先生と境野先生との再会』栄光学園高校同窓会誌「THE EIKO ALUMNI」2001年(平成13年)10月1日号